お正月!北海道札幌市中央区宮ヶ丘の北海道神宮で初詣!より続く
北海道神宮で初詣をして、わずかな小銭で、自分の幸福、家族の幸福など、あれも頼む!これも頼む!とめいっぱい祈り終えると、ふと北海道新聞に掲載された読者の投稿が蘇ってきました。
手元にその投稿記事がないため、細かな部分は曖昧なのですが、投稿者は90才くらいのお婆さんです。
そのお婆さんが子どもの頃は、子どもが働き手として家の手伝いなどするために、小学校にさえ通えない子供がいて、そのために字の読み書きができない方がいらっしゃるということです。
しかし、そのお婆さんの場合は、親が小学校だけは通わせようという考えで、家の手伝いをしながら小学校へは通われたそうです。
そのおかげで、年賀状などを書くこともできるし、読むこともできる、自分は幸せである、親にとても感謝している・・・といった内容でした。
自分も含めて現代人は、そのお婆さんよりも学ぶ機会がたくさんあり、字の読み書きはもちろんのこと、ほとんどの人が何かしらの資格・免許なども保有しています。
それにもかかわらず、自分は幸せだと感じることができないないのはなぜでしょう。
字が書けて読めるというだけで、たったそれだけのことで、自分は幸せだと感じることができて、親に感謝できるお婆さんと、自分を比べてみて、幸せとはいったい何だろうと考えました。
こうなれば、ああなれば、これがああなりさえすれば幸せな状況であるという尺度などはなく、自分は幸せだと感じることができるということは、その人の才能なのかもしれないと思えてきます。
お年寄り世代は、その才能に優れているのかもしれません。
願いはなかなか叶わなくても、こうして平凡なお正月を迎えられるということは幸福なのだと感謝しなければいけないと、少しだけ思いました。
少しだけなんですけどね。。。。
(-_- )カンシャ!!
